島の散歩 日本の島 島について 南西諸島 島の猫 プロフィール 写真集
島の散歩 島のできごと 島のレポート 島のデータ


■薩南諸島の概要
薩南諸島は、鹿児島の大隅半島より以下、沖縄諸島に至るまでの島々の総称。
大小さまざまな島々から構成されており、屋久島のある大隅諸島、トカラ列島、奄美諸島からなる。



□大隅諸島
大隅諸島とは、薩南諸島の中でも、鹿児島本土に一番近い島々をいう。
大隅諸島は、種子島、屋久島、口永良部、馬毛島そして、三島村の黒島、竹島、硫黄島などからなる。
硫黄島・口永良部のように火山島もあれば、種子島のように平らな島。そして屋久島のように急こう配で独創的な島もある。
三島村の三島に関しては、大隅諸島に含めたり、含めなかったりする。
屋久島・種子島があまりにも有名すぎて、他は地味な存在だけど、島らしいのどかな景観は味わえる。
それぞれの島が独特な雰囲気があり、行政的にも種子島、屋久島、三島村とわかれているので、
島通しの交流は少ない。
昭和の戦前までは、現三島村(黒島、竹島、硫黄島)はトカラ列島が属する十島村であった。
しかし、日本が戦争に負けて、トカラ以南の島々は、
アメリカ軍の統治下におかれたため、黒島、竹島、硫黄島は分裂して三島村となった。




□トカラ列島
薩南諸島でも、大隅諸島の先にある島々をいう。
口之島、中之島、諏訪之瀬島、平島、悪石島、小宝島、宝島などからなる。
北の中之島から、南の無人島横当島まで、南北160kmにおよぶ、細長い島になっている。
地形は、口之島〜悪石島までは急勾配の島が多いが、小宝島や宝島は、平地の割合が多い島。
この辺は、悪石島と小宝にあるトカラ海峡を境に、見られる生物や、地形など、島の雰囲気や景観が違うことを思わせるものがある。
どの島も行政は十島村に属しており、船の交通は不便だが、島通しの人の交流は盛んだ。
人口は、有人島全てを合わせても、約700人程度。深刻な過疎化問題に面している。
有人島は7島。無人島は臥蛇島など5島。
しかし、臥蛇島は、急峻な地形で築港できないなどの理由から徐々に衰退し、1970年に無人島になっている。
口之島、中之島、諏訪之瀬島は、有名な火山島。今でも活発に活動していて、島内で、ゴロゴロという不気味な音を聞くことができる。
それゆえか、温泉も多々あり、楽しめる。


□奄美諸島
奄美諸島は、薩南諸島の一番下の部分、沖縄諸島のすぐ上になる。
喜界島、奄美大島、加計呂麻島、与路島、請島、徳之島、沖永良部島、与論島など島からなる。
地形は、与論島や喜界島のように平らに近い島もあれば、奄美のように山々した島もある。
沖縄やトカラ列島に比べて言うと、どの島も大きな島が多い。
行政区分は各島独立して(与路島、請島は除く)おり、行政でのつながりがあるわけではない。
文化や島の雰囲気は、鹿児島でもなく、沖縄でもない奄美独自の文化がある。言葉や習慣、食べ物など本土や沖縄に見らえれない
奄美独特なものがあって、興味をそそられるものがある。
南に行くほど、琉球の文化の影響を受けており、特に、沖永良部や与論島は、琉球に近い感がある。




■薩南諸島の気候
薩南諸島の島々の気候は、沖縄と本土の中間といったところ。
梅雨明けは、沖縄より遅いが、本土よりは早い。
奄美諸島は亜熱帯性気候に属するが、かといってトカラや種子島などで、急に気候が変わるといったわけでもない。
また、亜熱帯という範囲自体、不正確なもので、明確にはどこまでが亜熱帯で、ここから温帯という定義はない。
奄美大島でも、1901年と、2011年1月に積雪の記録はある。
薩南諸島、沖縄の島々のように台風の通り道になりやすいところで、大きな台風により多大な島が多大な被害をうけることも多い。
また、特徴のある島が多いことから、島によっても天候は違う。奄美が雨でも、喜界島は晴れていたり、屋久島は年中雨が多いところ。
この辺は、島の地形と海や島などの立地条件にもよろう。




屋久島
 平均気温(℃):19.7
 年間降水量(mm):5347.5

種子島
 平均気温(℃):19.9
 年間降水量(mm):3185.0


中之島
 平均気温(℃):19.0
 年間降水量(mm):3660.0


奄美大島名瀬 
 平均気温(℃):21.7
 年間降水量(mm):3567.5
 日照時間(h):1317.1


喜界島 
 平均気温(℃):21.9
 年間降水量(mm):1995.0


徳之島天城
 平均気温(℃):22.1
 年間降水量(mm):2245.0


沖永良部島
 平均気温(℃):22.6
 年間降水量(mm):1977.0


与論島 
 平均気温(℃):22.7
 年間降水量(mm):2152.0


-------------------------------
沖縄 久米島 
 平均気温(℃):23.1
 年間降水量(mm):2572.0

沖縄 石垣島 
 平均気温(℃):24.6
 年間降水量(mm):2806.5

東京
 平均気温(℃):16.9
 年間降水量(mm):1679.5

東京 南極 昭和基地
 平均気温(℃):-8.3
 年間降水量(mm):-

■離島航路
 主に、
 (1)三島航路(三島村営)
 (2)屋久島・種子島航路(コスモライン、鹿児島商船など)
 (3)十島航路(十島村営)
 (4)奄美・沖縄航路(マリックスライン、マルエーなど)

 南西諸島の離島航路


■薩南諸島の島々の面積と人口


□大隅諸島

No

島名前

よみがな

市町村

面積
(平方キロm)

人口
(人)

1

種子島

たねがしま

西之表市

444.99

34,128

中種子町

南種子町

西之表市

2

馬毛島

うまげしま

8.20

?

3

屋久島

かけろまじま

屋久島町

504.88

13,614

4

口永良部島

くちのえらぶじま

35.77

147

5

竹島

たけしま

三島村

4.20

83

6

硫黄島

いおうじま

三島村

11.65

140

2

昭和硫黄島(無人島)

しょうわいおうじま

三島村

0.07

0

7

黒島

くろしま

三島村

15.37

239



□トカラ列島

No

島名前

よみがな

市町村

面積
(平方キロm)

人口
(人)

1

口之島

くちのしま

十島村

13.33

125

2

臥蛇島(無人島)

がじゃじま

4.07

0

3

小臥蛇島(無人島)

こがじゃじま

0.5

0

4

中之島

なかのしま

34.47

173

5

平島

たいらじま

2.08

82

6

諏訪瀬島

すわのせじま

27.66

49

7

悪石島

あくせきじま

7.49

94

8

小島(無人島)

こしま

?

0

9

小宝島

こだからじま

1.00

48

10

宝島

たからじま

7.14

102

11

上ノ根島(無人島)

かみのねじま

0.54

0

12

横当島(無人島)

よこあてじま

2.76

0



□奄美諸島

No

島名前

よみがな

市町村

面積
(平方キロm)

人口
(人)

1

喜界島

きかいじま

喜界町

56.93

8,178

2

奄美大島

あまみおおしま

奄美市笠利

712.39

70,000

龍郷町

奄美市名瀬

奄美市住用

大和村

宇検村

瀬戸内町

宇検村

3

枝手久島(無人島)

えだてくじま

5.81

0

4

油井小島(無人島)

ゆいこじま

瀬戸内町

0.02

0

5

加計呂麻島

かけろまじま

77.39

1,600

6

江仁屋離島(無人島)

えにやばなれじま

0.31

0

7

夕離(無人島)

ゆうばなれ

0.15

0

8

須子茂離(無人島)

すこもばなれ

0.94

0

9

請島

うけしま

13.34

200

10

木山島(無人島)

きやまじま

0.3

0

11

与路島

よろしま

9.35

165

12

ハンミャ島(無人島)

はんみゃじま

0.13

0

13

徳之島

とくのしま

徳之島町

247.77

27,000

伊仙町

天城町

14

沖永良部島

おきのえらぶじま

和泊町

93.7

14,550

知名町

15

与論島

よろんじま

与論町

20.8

6.000




■津波
三陸と比べると、少ないが、津波害は少なくないようだ。
けれど、島で津波が起こった場合、低い島だと、逃げ場がなく、致命的になる。覚悟をしなければならない。
近年は、2011年の東日本大震災のような大津波はやってきていないが、
南西諸島全体では、1771年、八重山・宮古を中心とした明和の大津波があり、油断はできない。
明和の大津波では、八重山・宮古を中心として、12,000人の方がなくなった。
津波前の人口の1/3になったという大惨事だった。

<薩南諸島の津波>
1901年6月24日 奄美大島近海地震
被害:小型船舶の破損や転覆
1911年6月15日 喜界島地震による津波
被害:奄美・喜界島で、人家過半数(442)が浸水,死者12
1960年5月24日 チリ地震津波
被害:1800棟
1995年10月18/19日奄美大島近海地震
        被害:小型船舶の破損や転覆


■火山
硫黄島や口永良部や、トカラ列島には火山がある火山島。全て、霧島火山帯に属する火山列島だ。
特に、諏訪瀬島の御岳は、活発な活動をしており、気象庁の出す警戒レベルも高い。
万一のことも頭に入れておかなければならない。

<薩南諸島の火山>
硫黄島:鬼界カルデラ(A) :海底火山。硫黄島は海底爆発でできた火山島。1934,1935,1936,1988,1999-2004年に爆発あり。
口永良部島:新岳(B):1841年と1933年 - 1934年(数回にわたる)の噴火では死者も出ている
口之島:燃岳、前岳(C):ただし、有史依頼、火山活動は記録されていない。
中之島:御岳(B):1914年に噴火。
諏訪之瀬島:御岳(A): 活発な活動火山。

その他、火山島
 平島、臥蛇島、小臥蛇島、黒島、悪石島、横当島(東峰、西峰)

参考、沖縄の火山
 硫黄鳥島(B)、久場島(尖閣諸島)、西表島北北東海底火山

()内の意味
・ランクAの火山 100 年活動度または1万年活動度が特に高い活火山
・ランクBの火山 100 年活動度または1万年活動度が高い活火山
・ランクCの火山 100 年活動度および1万年活動度がともに低い活火山
・その他の火山島は、噴火などのデータがなく、ランク対象外。いつか爆発する恐れも0ではない。


<近年の大きな噴火>
1813年 諏訪瀬島の御岳が大噴火、溶岩が流出し、諏訪瀬島は無人島になった。
1841年 口永良部島の新岳の大爆発。死者多数。
1933-34年   口永良部島の新岳の大爆発。死者あり。
1934年11月 硫黄島の海中噴火


■台風
台風銀座となる薩南諸島では、台風は日常茶飯事にやってくる。
緯度が低いところでの台風であり、台風のパワーはかなり強力だ。
薩南諸島では、しばしば、おおきな被害を受けている。
近年では、平成13年台風第16号,平成15年台風14号などが島々にが大きな被害をもたらしている。


たび重なる、台風被害でなくなった島もある。以下は、トカラ臥蛇島の台風の歴史。
<臥蛇島の被害>
1945年9月 枕崎台風により大きな被害を受ける。
1951年10月 ルース台風により大きな被害を受ける。
1956年8月 台風6号と9号の来襲により、干害と潮害が発生、餓死寸前の状態に。
1957年9月 台風10号により全戸が半壊の被害。
        のち13年後に集団移住することとなった。

同じように、沖縄離島で台風害によってなくなった島は、慶良間諸島の前島がある。



■歴史
□トカラ列島の歴史
・縄文時代:
 宝島や中之島で遺跡が見つかっていることから、縄文時代には人が住みついていたと思われる。
・平安時代:
 平家の落人が、トカラ列島にたどりついたといわれ、ここからいろんな平家伝説が生まれる。
 平家伝説は、大隅諸島や奄美にもある。
・室町時代〜
 薩摩・琉球との交流あり。
・江戸時代
 島津藩の完全支配下に

 1813 諏訪之瀬島の大噴火。諏訪瀬島が無人島に。
 1824 宝島でイギリス坂の戦い

・明治時代
 廃藩置県が施行され、現在の三島村の3島を含めて、十島村が発足。

・昭和の戦争時代
 十島村は特に、宝島で米軍の空襲がすごかった。小宝島にも空襲はあった。
・戦後
 戦後は米軍統治下におかれたが、奄美より、1年早く、日本国に復帰する。
 1946 現在の三島村を除く、現在のトカラ列島は米軍統治下におかれ、分離。
 1952 トカラ列島は本土に復帰。現在のトカラ列島で十島村として復活。


□奄美諸島の歴史
・紀元前:
 徳之島に3万年前の遺跡あり。奄美大島にも旧石器時代〜縄文時代の遺跡も見つかっており、かなり以前から人が住みついて
いたといえる。

・縄文時代・弥生時代・古墳時代
 日本本土や沖縄諸島とは、遺跡から活発な交流があったものと思われる。

・古代
 日本書紀に奄美の名があり、日本中央との交流があり、遣唐使も奄美を経由して唐へ向かった記載もあり。

・11〜12世紀
 グスクの構築が始まり、集落は按司により支配され、小集団国家のようなものができていく。
 この辺は、沖縄の歴史における集団形成とよく似ている。

・平安時代
 平家の落人たちが、喜界島や奄美大島、加計呂間島にたどり着いたといわれ、伝説が残る。

・鎌倉時代
 北条得宗領となり、大和の支配下に。

・室町時代
 琉球王国が成立し、奄美諸島の領有をめぐって、琉球と大和が何度も合戦した。
 一方で、琉球王国と大和の貿易の中継地となった。
 
 1429 琉球の北山を滅ぼした琉球王国は、北山の領地であった与論島、沖永良部島を領土に組み入れた。
   また、徳之島も領土に組み入れた。
 1447 奄美大島を服従させた。
 1466 喜界島を制圧。奄美大島に泊地頭が置かれ年貢を琉球王国に収めるようになった。
    また、これ以降、琉球王国の地方行政制度が敷かれ、琉球の文化が濃く現れる。
   (1537、1571 奄美大島の与湾大親の反乱。)

・戦国時代
 大和では薩摩の島津氏のみ強い関心を持ち。合戦も交え、琉球王国へ圧力をかけ、島津氏が、交易による利益を得ていく。

・江戸時代
 島津氏が、奄美、琉球を制圧。奄美は薩摩藩の直轄地となった。
 1609 奄美大島、徳之島、沖永良部を制圧。そうして、沖縄本島に入り、今帰仁城を落として首里城へ迫った。
    尚氏はやむを得ず、島津氏と和睦。
 1613 奄美に代官所や奉行所をおいた。

・江戸時代末期
 西郷隆盛が、奄美大島、沖永良部島などに流刑される。西郷隆盛は奄美諸島に数々の痕跡を残す。
 http://shimanosanpo.com/churajima11/index_map_saigou.htm

・明治時代
 鹿児島県となる。

・昭和の戦争時代
 十島村は特に、宝島で米軍の空襲がすごかった。小宝島にも空襲はあった。
・戦後
 本土復帰は、沖縄より約20年早く、トカラより1年遅く復帰する。
 1945 米軍統治下におかれる。
 1951 昇曙夢などの著名人が指導者となり、本土復帰運動が激しくなる。
 1953 本土復帰


□屋久島と種子島の歴史

・古代:
 遺跡から、約7000年前には人が住むようになったといわれる。
・古墳時代:
 隋の時代の書「隋書」で、屋久島と種子島が登場
 700年ごろ、屋久島と種子島は大和に支配されるようになる。
・鎌倉時代〜室町時代
 種子島家が、種子島と屋久島を支配する。
 1203 種子島を種子島を支配。屋久島を始め、トカラの島々の統治の許可を幕府から受けがあいまいだった。
 1408 島津氏より正式に、屋久島の領有の許可を得る。
※種子島氏は、島津氏の従えている(子分ということ)
 この時代から、種子島・屋久島・口永良部3島は、島津氏と種子島氏に江戸時代末期まで支配される。

・鉄砲伝来
 1543 種子島に鉄砲伝来。
  種子島氏と、禰寝氏が屋久島の領有を巡って合戦。歴史上はじめて鉄砲を使った合戦となり、種子島氏が勝つ。

・屋久杉
 豊臣秀吉が京都方広寺の大仏殿建立用材調達を行い、屋久杉が使われた。
 これ以降、屋久杉は大きくクローズアップされ、屋久杉の伐採が盛んになる。


・明治時代
 種子島では、西郷隆盛ひきいる私学校党に、300名余りの人が参加し、戦死者は多数におよんだ。
 屋久島の木々は国有林となる。
 

・戦争時代
 屋久島・種子島は空襲を受け、多くの被害を受けた。
 戦艦大和は、種子島沖真西270kmのところで沈んだ。

・現在
 1966 屋久島で縄文杉が発見される。
 1969 種子島宇宙センターが開設
 1993 屋久島が世界遺産に登録される。









サイトマップ 更新履歴 リンク リンクについて 問い合わせ